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<3.11に思うこと> ー その7ー

3.11直後、海外のメディアの報道には「日本人は集団の規則を守る国民性だ。3.11のような大事故、大災害が発生しても「掠奪」や「暴動」が起きていない。これは日本以外の国では例の無いことだ」と伝えたものもあった。そして、日本人のこの「美徳」が今後の復興への源泉となろうと、日本のメディアも歯の浮くような言説を流した。
ところが最近になって少し報道されることとなり明らかになったことに避難地域での空き巣がかなりの件数があったということだ。海外メディアが報道したことはある一面であり、逆の負の事実もあったのだ。
ところでこうした「日本人性善説」が語られたのと同じ時期に「菅直人は、ヤメると言明してまだヤメないのはけしからん。海外であれば「暴動」が起こるようなことなのに。日本人はおとなし過ぎる、だらしない」とする意見も耳にした。
これでは日本人は「規則正しい」のか「だらしない」のか、どちらなのかわからない。だいたい、復興のエネルギーの源泉を日本人の国民性一般に求めるのは明らかに間違いだと私は思う。私は、復興へのエネルギーの源泉は、日本とは限らず、人の世の中にある「猥雑」なエネルギーであると思う。そう思うに至ったのは、当HPで既に紹介してある6月19日に届いた「被災地の友人からの手紙」を読んで、その思いを深くした。
その「手紙」をその引用する。

被災地からの手紙
2011-06-19 (日)
宮崎学である。友人からの手紙6通目が届いたので、本人の了解を得てこれを紹介する。
アメリカ・フランスの持ち込んだ長期稼働不可能な装置、小生は2・3日と見ましたが、5時間とは。しかも水処理のプロに言わせれば高濃度汚染水相手に動いたのが不思議だそうで、高濃度汚染水は段階に処理すべきであり、何度も進言したらしいのですが、皆耳が遠いらしく、結局あの始末、政府がメーカーと直取引したらしく、商社を通せば商社は責任上様々な意見を聞いたはず。
素人が口出しするとこんなもんですヨ。
4号建屋は震度6〜7、又は台風が来ると倒壊の恐れがあるそうです。せめて補強工事位すべきでしょう。
今第一原発の現場ではゼネコン・東電の社員一番キツい場所で仕事をしているらしく、私の同級生(65歳)迄現場作業を命ぜられ東京からいわき市へと戻って来ました。まさに末期であります。政府のおエライ様方、月に何日かは是非当地にてお過ごし下され。野菜も魚も絶品ですぞ。
救援物資の集配所だった平競輪場がやっと本来の姿に戻りました。山積だった物資は小中学校で配ったり、スーパーのおまけになりました。
期限がある物は仕方ないとして缶詰は他に送るべきではと思うのであります。久々に会った競輪仲間と再会し、無事を確かめ合い、帰らぬ人となった人々の無念を思い、黒と白(2番4番車)を絡めて車券を買い、当然外れ。それでも「やっぱし競輪はエエのぉ」なのであります。
さて、いわきでは市が大半の空アパート・住宅を借り上げてしまったらしく民間人が困っております。湯本温泉のホテル・宿は大手ゼネコンの貸切りで一杯、他県ナンバーの車が数多く、居酒屋はホクホク、やはりこの町はよくも悪くも原発の町であります。

以上が友人からの手紙だ。
被災地の友人は、通い慣れた競輪場に行き、場外車券を買うという日常的習慣から、立ち直ろうとした。
「がんばろう東北」と言うような歯の浮くような「理念」からではなく、もはや以前の完全な形には戻れないことは、わかりながらも、かつて自分の居た日常を敢えて体現することで、立ち直ろうとしたのだ。友人にとってのその一歩が競輪であった。
私は日常を取り返すのが市民主義的な「ボランティア」的発想や行動ではなかったのが、友人らしいと思う。
またそこが微笑ましくも思う。
私は、この友人の心の奥底には、放射線等の影響への恐怖がないわけはないと考える。しかし、それでも「日常」を選んだのだと思う。それはある意味、仏教的「諦観」と思われる。そこには、小学校のホームルームのような「がんばろう日本」的発想ではない「覚悟」を私は見た。
私はこの友人に見られる「諦観」からスタートとした「猥雑」な、かつての日常生活への回帰の願望が復興のエネルギーの源泉ではないかと考えている。
  
(次回に続く)

<3.11に思うこと> ー その6ー

3.11について我々が得ることの出来る情報は余程の特別な場合を除いて、メディアを通じて得るしかない。それ故に我々は、とりわけ3.11についてのこの国のメディア状況を検証する必要が、特にあると思う。
さて3.11直後の報道は、経産省系の官僚や東電の「会見」と地震、津波の映像等の情報が中心であった。この段階での報道は、官から与えられる情報しか持ち得ないという限界と未曾有の大惨事への対応に、思考停止状況にあったのであろう、3.11に対するメディア側からのメッセージ性のある「報道」が無い分だけ、かろうじて読み聞きに耐えられるものであった。ところが3.11からおおよそ1ヶ月程経った頃から、メディアの伝えるところに彼等の「評価が出始めた。いわく「がんばろう東北」曰く「がんばろう日本」というスポーツビジネス企業が「観衆」をスタジアムに「動員」するかのごとき意味不明のキャッチコピーがまずそれである。その後、同程度の水準で「絆」というのも多用されるようになった。
この種の「言葉」が氾濫するようになるということは、同時に、メディアが取り上げるポイントが、イベント中心主義に変質し始めたことを意味する。これは明らかに広告代理店的発想が情報発信の中心に混入してきたことを意味する。
ところでこの「絆」という言葉の持つ意味は「運命の共同」つまり、生きるのも一緒、死ぬのも一緒ということが基本にあり、もともとの意味するところは、実に生き生きした実感的なものである。そこには「観衆」と「プレーヤー」という区分けのない一体の世界がある。そこで被災者の今置かれている状況を考えると、広告代理店的発想で言うところの「絆」などという耳障りのいい言葉を使える人間が果たしてこの国にいるのだろうか。どこにもいる訳がない。自らに「運命の共同」という固い意志も無く、この種の言葉は語られるべきではない。
しかし、この種の「言葉」の氾濫は、3.11の「収拾」を官とメディアが如何なるイメージであるかは示している。それは1945年の敗戦時に「一億総懺悔」という論調がメディアと生き残りを賭けて官僚が用いた事実と類似している。
ところでこの国のメディアは、事件、災害、事故の被害者を劇場公演の舞台の主役にし、観客は新聞の読者だったり、テレビの視聴者だったりで、観衆の役割を果たさせようとするのが得手である。その際、国民の多数は、観衆の立場を演じさせられ、目の前で繰り広げられる「劇」を安全なところから見物させられる。そこには「運命の共同」は存在しない。
最近では、被災地で行われる「祭り」や海外に短期間のホームスティする学生の姿などに何か意味があるかのように報道するという具合である。しかし、さしもの劇場型報道もネタ切れのようだ。
そもそも3.11はこの国が官僚やメディア産業によって創り上げられてきた「イベント型の偏執と熱狂」の歴史が持つ虚構性を、結果として暴くものであったと、私は考えている。
ところで今、私の目の当たりに展開されている悲惨極まりない現実は、メディアが伝えるような「劇場型公演」でもなければ、まして玉転がしに一喜一憂するサーカーゲームでもない。そこには生身の人間が生きんがための苦闘がある。そして数え切れない「死」の悲しみがある。しかし残念なことにこの国のメディアは3.11を、国民を観衆の立場に置くといった愚劣な劇場としてしまい、メディアが特に年間3兆円と言われる原子力開発のための国民負担の税金を「喰って」来たことに対する「追求」からの逃亡を図ることに躍起となっている。再度言うが、劇場とは舞台の上で役を演ずる役者と、そこで演ぜられるものを「眺める」観客がいる。ところがメディアによるこの種の「情報」のデフォルメによって、国民と被災者との運命共同体的な一体感は稀釈化してしまった。そしてそこで演ぜられるものは「虚構」となってしまっている。
しかし、3.11は虚構ではない、ましてテレビドラマでもない。それは厳然たる事実である。
そして今、何よりも肝要なことは、3.11に向き合う姿勢を「イベント化、劇場化」してはならないということである。劇場化する民衆の意識が加速する中では、復旧、復興もイベントの中の一つのシーンとして捉えられてしまう。
被災地における人々の努力を、イベントとして捉えることを自己への責任追及から逃亡できる唯一の方途として汲々とするメディアと官僚の姿に、私は激しい嫌悪感を持つ。

(次回に続く)

<3.11に思うこと> ー その5ー

「やらせメール」問題について思うところを書く。
3.11が問いかけている問題は「やらせメール」を九州電力がどのように仕組んだのか、また誰が悪いのかと言った、矮小な問題ではない。
問われているのは、原発について言えば、スタートから今に至るまでの世論「対策」の全過程について「それで良かったのか」という本質的な問いである。
ところで洋の東西を問わず、国の政治エリートや官僚がその国民の共感を得にくい政策を行おうとする時には、彼等と利益共同の関係にある、メディアを駆使するのが常套手段である。
そうしたことから、国策として、原発の推進を掲げ続けたその経産省が主催する「県民向け説明会」で、問題となったメール事件のような小細工を行うのは、言ってみれば、彼等にとっては「普通」の仕事であり、そうした小細工が出来ないのなら、「主催」する意味はないと考えている。まして、3.11の後、原発に対する国民の嫌悪感が昴っている時に、それとは逆の「県民」の意志が示されることは、「意義深い」という発想を持ったことは容易に推測出来る。

そうした「性(サガ)」とは別に、原発事業者と官僚が費消してきた、莫大な「広報費用」にタカってきたのが、既成のメディア、とりわけ新聞、テレビ、通信社、広告代理店である。
例えば、なるほど今となってはこれらの既成メディアは、「やらせメール」などに一見批判的な論調を唱えているかのように見られるが、実は、そこは既成メディアが今まで「タカリ行為」についての批判から身をかわすためのアリバイ作りを、焦って行ってきた姿が浮かんで来る。批判されそうな時は批判者になるのが得策というメディア特有の反応である、これもまた「性」なのである。
そこで、「国策」とメディアの関係というテーマの検証は、今回の3.11で、我々のような表現に携わっている者は、特に重いものとして考える時が来た。
そうした視点から見ると、裁判員制度導入(2009年)の際の官民一体のキャンペーンには、原発推進キャンペーンと国民を蔑視するという点で、発想と手法に通底するものがあったと私は考える。
人工的に形成された「世論」が支配する社会が、この国では完成してしまった。
(次回へ続く)

<3.11に思うこと> ー その4ー

社会権力の消長が社会全体に及ぼす影響の大きさ、深さをしみじみ感じさせられたのが、3.11だった。
今さら、「たら」「れば」の話をしても仕方が無いことを百も承知のうえで話してみよう。
この国は、60年代〜70年代にかけて田中角栄に見られる自民党内の土建屋系政治家とそれと癒着した官僚群が押し進めた政策によって、雨後の筍のように、中小零細の建設関連会社が全国に生まれた。このグループが2000年代初期の小泉、竹中の新自由主義的な政策によって半減の憂き目を見るまでは、地域社会を支える支柱として、ある種の共同体を形成し、その地域の社会権力として良きにつけ悪しきにつけその役割を果たしてきた。
こうした土建屋的社会権力の弱体化には様々な原因があるが基本構造は、2008年3月28日付、日経ビジネスオンラインの記事でとび土工や鉄筋工など建設職人の団体である大阪府建団連会長の北浦年一氏へのインタビューが指摘しているところが、正確である。
その中で北浦氏は「談合はなくなったのか」という質問に答えて次のように話している。
「(大手ゼネコンが仕切る)談合組織はほとんど潰れたから、もうほとんどないわ。これは、とてもいいことと考えているよ。ただな、談合がなくなって何が起きたかと言うたら、自由競争という大義の下にダンピング競争が始まった。」
北浦氏の指摘しているところが、3.11の東北では次のような形で現れていた。
それは、スーパーゼネコン以外の準大手ゼネコンは、公共事業の予算削減とコンプライアンスへの過剰な傾斜の結果としてのダンピング、それに加えて東北の特別な事情としての東京地検特捜部による小沢叩きという異常な状況の下、東北の支店を実質撤退させていた。
こうした結果、準大手ゼネコンの下請けで東北を地元とする中小零細土建会社には倒産、廃業が相次いだ。こうして3.11が発生する前の東北の状態は、かつての土建屋共同体=社会権力がほぼ崩壊していたと言える状態だった。
もう一つ興味深い指摘がある。2007年の大分県での出来事である。「『西日本新聞』2007年(平成19年)9月16日付朝刊は、『建設業協会佐伯支部 入札への要望拒否に対抗 市との災害協定 破棄』という見出しで、大分県佐伯市での出来事を報じている。
 「県建設業協会佐伯支部(佐藤現支部長)は14日、佐伯市と締結している災害時の応急対策活動を破棄するとの申し入れ書を西嶋泰義市長あてにて提出した。公共工事の入札について要望が受け入れられなかったことへの対抗措置。
 西嶋市長は『誠意を持って回答したが。理解得られず残念』とのコメントを出し、現状では要望を受け入れない考え方を示した。
 同支部は公共工事の減少に伴い厳しい経営環境にあるとして(1)高落札率入札調査制度の撤廃(2)協会会員相互の指名(3)本年度工事の早期発注(4)低入札価格調査の失格基準設定を市に要望、業界への配慮を求めていた。
 西嶋市長は要望に対して文書で回答。協会会員に配慮する相互指名について『(現行入札制度は)競争性や公平性、透明性を確信しつつ指名している』として、変更を拒否。落札率が高い場合に調査する制度については『4月から試行し実効性を検証しているところで、撤廃について判断するのは尚早』として、撤廃の要望を受け入れないと答えた。
 回答に対して、同支部は『誠意が見られず、失望の念に耐えられない』として、協力協定の破棄に踏み切った。」つまり、小泉、竹中路線のグローバリズムと新自由主義的政策の潮流は東北にとどまらず、全国的に土建屋共同体が変質を余儀なくされていることをこの大分県の出来事は示している。
ところで、土建屋共同体は、もともと災害が発生した時にどのように機能をしてきたか。災害が起きた時に誰よりも早く現場に駆けつけ、火事の場合は、類焼を防いだり、水害の場合には土嚢を積んだり川に流れ込み、橋を破壊する大きな材木を引き揚げたりしてきた。もちろん、これらの行動には、その後に発生する復興の仕事を受注しようとするもくろみがあり、今風のボランティア活動という「無償」の行為とはその趣は全く違っている。むしろ職業意識からスタートするものであったと言えよう。
しかし、災害が発生した初期の段階では、これらの土建屋共同体の行為は被災した人たちにとっては国や地方自治体が手続きを踏んで行うものと比較して、極めてスピーディーであり、それに永きに渡って蓄積したノウハウがあるだけに、有効で適格な「仕事」ぶりであった。
さて、そこで「たら」「れば」の話をしよう。
もしも、3.11の時に、新自由主義的政策に席巻されることなく土建屋共同体が生き残っていれば、3.11はその範囲が広大だという条件があったとしても、そして放射能問題があったとしても95年の阪神・淡路大震災並みの対応が可能であったと、私は考える。
百歩譲って、放射能問題でその対応のスピードが遅れたとしても、今のような体たらくはなかったと思われる。
政治家や官僚の能力とは全く違う質の存在であった「社会的体力」が発揮されていたであろう。
本文<その3>で書いた「かさぶた」の下で進行していたものが、この国の社会が病んでいて基礎体力がおとろえていることを顕にした。この時を3.11が直撃した。それだけに事態は深刻なものとなっている。
(<その4>終わり)

<3.11に思うこと> ー その3ー

3.11の少し前、私は沖縄の近現代史と取り組んでいた。
何故、「沖縄」だったのかというと、本土と比較にならない広大な米軍基地の存在等、その歴史に見られる事実を直視するとヤマトの対応の歴史の中に強烈な「差別」が見えてくるからである。同時に、この圧倒的な差別にも関わらず、沖縄の民は、生きる営みそのものが「闘い」という歴史を歩んで来た。
私は、この沖縄の民衆の精神の源泉に触れたかった。そのためには、沖縄の近代現代史を捉え直す必要があった。さてその「総論」は研究者に任せるとして、私として関心のある各論からアプローチすることとした。
その関心の第一は、明治維新以降の日本のアジアの植民地「経営」の中で沖縄をヤマトはどのような位置に立たせたかということである。
第二点は、近代史における漢民族と琉球の民との関係史が沖縄の民衆の意識にどのような影響を与えたかということである。
第三点は1972年の「沖縄返還」とは何だったのかを、沖縄人民党と日本共産党の合流の際に、この合流を拒否した人民党の人たちの精神がどのようなものだったのか、その精神の足跡を辿ることによって捉え直したい。3.11の前に私が沖縄について考えていたのは、以上のようなことであった。
こうしたことを考え、取り組んでいる時に3.11が発生した。
ところが3.11で見えて来たこの国の姿たるものは、ヤマトが沖縄の民衆に担わせたのと同質の十字架を原発がつくられ稼働している地域の民衆に課したという歴史の実相であった。
これはあきらかに差別である。
太平洋戦争の際の「沖縄を本土防衛の捨て石」にした意識と、原発を基幹産業として、発展させるためには、集中する大都市圏の経済圏から取り残された地域の民衆に、「仕事」と「金」を与えておけば言いなりになるとするヤマトのエリートの意識、ここには、3.11で私に見えて来たこの国を歴史的に貫く差別の思想があった。
そして3.11に遭遇した後、ある友人が私に次のような感想を語った。
「この国の歴史の中で、今回の3.11のようなことが何回かあった。1945年の敗戦がそうだったし、バブルの崩壊も自分には同質の衝撃だった。人の身体に例えれば、傷口のカサブタ取れ、身体の中味が見えたという感じだ。」そしてこう続けた。「今回も、これまでと同じように、カサブタができて、中味が見えないかたちで収斂してしまうのかなあ」と。
実に同感である。
「がんばろうニッポン」と言う、サッカーの応援のような軽いスローガンが羅列される平準化された社会の中では「人の痛み」には鈍い空気が充満している。
(次回に続く)

<3.11に思うこと> ー その2 ー

私は70年代後半から80年頃に掛けて「原発を解体する技術を確立すれば、大きなビジネスになると考えていた。同時に、反原発の、いわゆる環境派=エコロジストの運動が「原発の建設」反対という域にとどまらず、「原発解体の技術論」まで提起出来るところまで踏み込めば、新しい運動の地平が切り開かれるだろうと考えていた。
そしてこの考えは今も同じである。
ところで、私の実家は「解体屋」である。子供の頃から“アルバイト”と言えば解体工事の現場での雑用係であった。
そうしたことから建物をどうしても解体屋の視点で見てしまう癖がある。
その視点の重要なポイントの一つは、解体のコスト、つまり解体のためにどれくらいの費用が掛かるか、ということである。
この視点からみると、原発の解体の費用は無限大に近く、建設コストをはるかに上回るという特異性があり、そのため見積は不可能である。私は解体屋として、原発を見た場合、最初にぶつかる壁は、「捨て場」の問題である。それは仮に建屋や炉をなんとか解体出来たとして、その廃材を、誰が、何処に運び、何処に捨てるのかという、つまり「捨て場」の問題を、解決をすることが出来ない。その結果として見積はできないのである。原発の解体のイメージとしては、建家や炉の解体は、建設した時の逆の工程をロボット等によって辿れば、バラバラまでには出来ると思われる。このような解体工法は「手毀ち」と言われ、今風の重機によってバリバリと壊す工法とは違うもので、費用は廃材の処理場があると仮定して、重機類が中心の解体工法の約2.5倍は掛かる。
こうしたことから原発が、コストの安い電源であり、「クリーン」なエネルギーというこれまでの国や電力会社の「説明」は正当な言い分ではない。
そこでもう少し考え方を拡大して、国や電力会社ということにとどまらず、「解体不可能」なものを作る文明について考えてみたい。
人類の文化は、「造る」「壊す」そしてまた「造る」というサイクルがあるからこそ発展もしてきたし、正常たり得たと私は考える。自ら造ったものが自らの手で壊せないとしたら、そこには、無機質と言うか、露骨過ぎる人間の欲の塊だけが残ることになる。
原発ということでみると、電力事業に携わる業界と官僚の権益という欲、それと同じく利便性を求めるあまり、「お上や会社」の説明を受け入れてきた私を含む利用者の欲が重なって来たというのが、「今」をつくってしまった。こうしたことと同時に、科学や人類がつくり上げてきた社会システムは自然をコントロールしようとする本能を持つ。しかし、人間の欲をコントロールすることは出来ない。ここに、無機質で不気味なものが出来上がってしまった現代文明がある。

次回は、原発問題と通底する思想として沖縄問題を「差別」の視点から考えることとする。
(次回に続く) 

<3.11に思うこと> ー その1 ー

3.11に遭遇して、私は完全な思考停止に陥った。「3.11」という現実をどう捉えるのか、久しぶりに人様の書く文章をずいぶん読み漁りもしたが、イマイチ胸にストンと落ちるものは無かった。
そして、私的には「まず行動」という生来のあり方で、何か掴めるんじゃないかと考え、なんだかんだやってみたものの、今回ばかりは「まず行動」という「私の鉄則」は有効では無かった。
この思考停止傾向は今も尾を引いている。
こうした暗中模索、試行錯誤の中で、ほんの少しではあるが、そしてぼんやりではあるが見えてきたと思われることがある。
その「ぼんやり」について今回は書くこととした。
まず、「科学的であること」についての懐疑である。私は青春時代「資本主義から社会主義へと世界が移行するのは『科学』なんだ。」と某左翼前衛党の先輩から説明され、「なるほど」と思い込んだことがあった。その当時このように考えたのは私だけではなかったらしく、こんなこともあった。1960年代の後半、当時の東京教育大学(現在の筑波大学)の体育系のサークルが「根性」とか「努力」という部のモットーを「科学的練習、民主的運営」に変えたことがあったと記憶している。
つまり、科学的であったり、民主々義的であるという価値観が旧来の思考に取って代わるべきものだという信仰が、私の青春期の発想の原点になっていた。
さて、そこで原発問題を考えてみると、原発そのものは、科学的な技術の枠によってつくられ運営されてきた。そして、例えばその「説明」も科学的であるから「安全」なものだとされてきた。つまり科学的な装いがあるが故に、問題の本質に対する鋭角的な思考が鈍らされてしまったとは言えないだろうか。
そして今、私は、こんなことを考えるに至っている。人類がこの世界に誕生して以来、劇的にその有り様が変化した最初の出来事は、「火」を手にした時である。
「火」はなるほど便利なものであった。しかし、それは当時としては、否、今もなお、とんでもなく危険なものなのである。火をコントロールする宿命は、火を発見した人類が、その後背負うのである。
自らが切り開いた「もの」で、自らが苦しむことになる。この皮肉なサイクルを人類は永々と繰り返してきたのではないだろうか。
これは人類の「業」とでも言うべきものなのではないだろうか、まず、そんなことが見えて来た。

次に考えたことは「解体不可能なものをつくる」ということの持つ無機質な不気味さのことである。
(次回に続く)

被災地からの手紙(6)

宮崎学である。

友人からの手紙6通目が届いたので、本人の了解を得てこれを紹介する。

アメリカ・フランスの持ち込んだ長期稼働不可能な装置、小生は2・3日と見ましたが、5時間とは。しかも水処理のプロに言わせれば高濃度汚染水相手に動いたのが不思議だそうで、高濃度汚染水は段階に処理すべきであり、何度も進言したらしいのですが、皆耳が遠いらしく、結局あの始末、政府がメーカーと直取引したらしく、商社を通せば商社は責任上様々な意見を聞いたはず。
素人が口出しするとこんなもんですヨ。
4号建屋は震度6〜7、又は台風が来ると倒壊の恐れがあるそうです。せめて補強工事位すべきでしょう。
今第一原発の現場ではゼネコン・東電の社員一番キツい場所で仕事をしているらしく、私の同級生(65歳)迄現場作業を命ぜられ東京からいわき市へと戻って来ました。まさに末期であります。政府のおエライ様方、月に何日かは是非当地にてお過ごし下され。野菜も魚も絶品ですぞ。

救援物資の集配所だった平競輪場がやっと本来の姿に戻りました。山積だった物資は小中学校で配ったり、スーパーのおまけになりました。
期限がある物は仕方ないとして缶詰は他に送るべきではと思うのであります。久々に会った競輪仲間と再会し、無事を確かめ合い、帰らぬ人となった人々の無念を思い、黒と白(2番4番車)を絡めて車券を買い、当然外れ。それでも「やっぱし競輪はエエのお」なのであります。
さて、いわきでは市が大半の空アパート・住宅を借り上げてしまったらしく民間人が困っております。湯本温泉のホテル・宿は大手ゼネコンの貸切りで一杯、他県ナンバーの車が数多く、居酒屋はホクホク、やはりこの町はよくも悪くも原発の町であります。

「警察幹部を逮捕せよ!泥沼の裏金作り」(旬報社)を最高裁が「名誉毀損」と認定したで。改めて読みなさい。

宮崎学である。
既に報じられておるが、ワシも一部執筆した「警察幹部を逮捕せよ!泥沼の裏金作り」(旬報社)と、「追及・北海道警『裏金』疑惑」(こっちは書いてない・講談社)の内容をめぐって、北海道新聞記者と出版社が訴えられていた裁判が上告棄却された。
一・二審の「一部の記述について裏付けが不自然で真実と認められないから、賠償しなさいね」という判決が確定する。
ちなみに原告の佐々木友善・元道警総務部長も上告していたが、こっちも棄却であった。

記者2人のコメントも紹介しておこう。

今回の最高裁の決定について、言論の自由を軽視するものとして非常に遺憾な内容と考えています。
しかしながら、私たちは本訴訟で争点となった記述を含め一連の裏金報道に取材協力していただいた複数の道警内部の情報源の皆様をぎりぎりのところで守ることができました。
私たちは、報道に従事する皆様とともに、今回の結果にひるむことなく、ジャーナリズムの本務である権力監視型の調査報道に挑んでいきたいと考えています。

2011/06/17
北海道新聞記者
高田昌幸
佐藤一

参考までに、時事は「道警では2003年に不正経理が表面化し、元幹部が裏金づくりを告白。04年に約3000人が処分された」と書いている。

心残りは、「著者の大谷昭宏くんとワシは著者なのに訴えられず、自ら申し立ててわざわざ被告になった」ことをどっこも報じてないことであるが、まあ裁判はこんなもんや。

2011年6月17日 宮崎学

上告棄却の報道はこちら。
北海道警裏金報道:道新と記者2人の敗訴確定 – 毎日jp(毎日新聞)
時事ドットコム:北海道新聞などの敗訴確定=道警裏金書籍の賠償訴訟−最高裁
東京新聞:北海道新聞などの敗訴確定 道警裏金本で名誉毀損:社会(TOKYO Web)

モンダイの本はこちら(^^)
Amazon.co.jp: 警察幹部を逮捕せよ!—泥沼の裏金作り: 大谷 昭宏, 宮崎 学, 北海道新聞取材班: 本
Amazon.co.jp: 追及・北海道警「裏金」疑惑 (講談社文庫): 北海道新聞取材班: 本

ロシアから見た福島原発事故

宮崎学である。
友人でロシア問題の専門家服部年伸さんから教えてもらったことを紹介する。

ロシアから見た福島原発事故

福島原発事故から1ヶ月半が経過した今もこの問題はロシアで広く議論されている。ロシア政府高官たちは日本当局と東京電力の対応を批判することなく慎重な発言をしているが、一方で多くの専門家たちは日本政府と東電の対応を厳しく批判している。

批判の1点は統合司令部の欠如だ。福島では、チェルノブイリのような、政府当局、東電、地方自治体、自衛隊、核専門家による統合司令部が作られなかった。チェルノブイリでは副首相が司令部の本部長となり、彼がレスキュー・オペレーション全般の責任をとり、レスキュー作業と地元住民避難作戦に参加する全ての人間に命令を与えることができた。

福島は人的災害だと多くのロシア専門家は指摘している。彼らは地震も津波も直接の原因とは全く考えていない。津波は福島第2をも襲ったが、そこで問題は発生していない。福島第1で問題が起きたのは、サポート設備の不備、事故発生当初の不適切な対応、そして、実情の隠蔽が原因だった。東電はベストを尽くそうとしたかもしれないが、その対応は混乱し鈍かった。専門家たちによれば、事故発生当初の対応には次のようなミスがあった。

第1に、原子炉内圧力が上昇すると発電所のオペレーターたちは避難し、彼らは事態が悪化する中、2日間、何もすることなく、電力復旧作業を始めたのは既に手遅れの状況となっていた3月14日になってからだった。

第2に、東電は最悪のシナリオ時に発電所のインフラ破壊を防ぐための何のプランも持っていなかった。緊急事態対応策の中には国家緊急隊、あるいは自衛隊への連絡も含まれていなかった。緊急時に経産省・保安院などの当局者と地方知事に連絡する唯一の方法はファックスだけで、ファックス受信の確認を例外として電話をすることさえ許されていなかった。

第3に、事故処理“部隊”の人数があまりにも少なかった。4月初旬、その数は数百で、ロシアの専門家によれば、被爆量の制限の観点からも、経験と情報の共有の観点からも、これは全く不十分な数だった。

第4に、チェルノブイリでは住民の安全のため地域住民を強制退去させた。そのため当局は厳しく、時には軍の協力を得て作戦を実行した。それしか住民を救う手段がなかったからだ。しかし、日本では危険地域から住民に避難勧告をするだけだった。

さらにモスクワの専門家によれば、日本が提供する福島の状況に関する情報は全く信頼できないものだった。実際、彼らによれば、4月上旬、国際原子力委員会の日本代表は現状について信頼できる情報の提供を拒んだという。その日本を、福島と同型の原発を持っているアメリカは支持したという。

多くのロシア人専門家たちは、日本当局は事故対応のためのプランを何も持っていなかったと強調している。対応は全て場当たりに見え、得策とも思えないものも含まれていた。彼らの意見では、「日本当局者はチェルノブイリ事故から何の教訓も得ようとしなかった。」福島原発はアメリカのプロジェクトに従って40年ほど前に建てられたもので、地震国・日本に適するものではなく、津波対策も不十分だった。「その決定要因は経済性であり、安全性ではなかった」と専門家たちは信じている。

最も批判されている点は、使用済みの核燃料が発電所の外の特別貯蔵庫に搬出されることなく同じ建物内のタンクに入れられていたことだ。ほとんどのロシア人専門家はこの事実に驚いている。福島第1の30年間の運転で蓄積された全ての使用済み核燃料が発電所内に貯蔵されていた。専門家によればこれは原子力爆弾40個を作る量となる。この使用済み核燃料が環境と接触すれば、水、土壌、大気はすぐにストロンチウム、ウラニウム、プルトニウムで汚染されてしまう。国際的慣例では、使用済み核燃料は核燃料供給者がすべて活用処理することになっている。福島の燃料供給者はアメリカ企業だが、彼らは何らかの理由でこれらの使用済み燃料を原発運転全ての期間にわたり何の活用処理をしてこなかった。

損壊した発電ユニットに対する安全措置についても疑問の声が投げかけられている。日本当局者は損壊した発電ユニットを特別な素材でできたフードで覆うことを計画している。フードはすぐに熱で壊されるのでこれは無駄だとロシア人専門家たちは強く指摘している。彼らの意見では、これはおそらく国民を安心させることのみを目的としている。このフードは汚染された塵の拡散を防ぐものだろうが、さらに危険なのは汚染された水が土壌と海に漏れ出していることだ。当局は汚染水をメガフロートで集める計画だが、その後のメガフロートはどこに行くのか?そして集めた水をどうするのか?

ロシアでは今でもチェルノブイリは人災の代名詞だが、この1986年の事故と福島の比較は避けられない。しかし、2つの事故の環境汚染・人的被害の大小について意見はロシアでも分かれている。ほとんどの専門家は福島は第2のチェルノブイリではないと考えている。福島では燃料の露出もなければ原子炉の爆発もない。

一方、福島の影響はチェルノブイリよりも大きいと主張する専門家たちもいる。チェルノブイリでは原子炉が爆発し黒鉛が燃えた。しかし、損壊した原子炉は1つだけだった。日本では3つの原子炉と4つの使用済み核燃料プールが損壊している。放射線放出はチェルノブイリの20倍だ。そしてこの放出は1ヶ月以上続いている。

福島事故の結果、国際社会は原子力発電について統一した安全基準を作る必要があるというのがロシア人専門家の一致した意見だ。

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