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幻のコラム 第6回「’68年とは何だったのか」

 20年位前にこんなことを経験した。
 60年代の中頃、早稲田の私より一年後輩で、実家が九谷焼の窯元だった男の嫁から「夫が家出した」との電話が入った。家出の理由には、心当たりはあるが、最後には私に連絡してくるだろうということで、私に電話をしたというものだった。自家用車で家出したということを聞いた。
 瞬間、この男が必ず早稲田の大隈講堂近くに来ると私は確信した。結局その確信は、はずれることとなったのだが、私がこのように考えたのは、この男についてのある記憶による。
 それは1966年の秋、この男の前で、今となっては詳しいことは忘れたが、常日頃この男を小馬鹿にしていた敵対する党派の活動家に、私がアッパーカットを喰らわせてノックアウトしたことがあった。この男にはそのことがよほど嬉しかったのだろう。その「アッパーカット」の話を「スゴイことだ、スゴイことだ、これが『革命』だ」と興奮して口走り、その後2~3時間も大隈講堂の階段に腰かけて、彼が予備校の時に活動家になった話等々を私に話しかけてきた。
 その時のこの男のキラキラした目の輝きの記憶が、私には忘れられないものとして残っていた。こうしたことから私は、家出し仮にその後自殺など考えるようなことがあっても、’66年の時に持った高揚感を思い出すべく早稲田に戻ってくると考えたのである。
 この男、井出秀男君は、’68年には親に実家に戻されることとなる。予備校時代の1年間と大学を中退するまでの約3年間が、彼の短い活動経験である。
 次回からは、彼がほんの短い活動経験ながら、その中で何に心を動かされて、何を心の中に仕舞いこみ、大学を去ったのかを考えてみることにする。

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