- 2007-10-26 (金) 22:13
- 幻のコラム
ここ数年、’60年世代の私達の間では、小泉政権から安倍政権へと続く流れの中で、「改憲」についての危機意識が高まったということがあった。
齢60才を超えた者達が、人生最後の政治参加の機会として、つまり死に場所として、この「改憲」反対の運動に過剰なる思い入れをしていた。
しかし、私は、同世代のこの種の発想には、ほとんど共鳴することができなかった。その理由は、この国においては、どのようなスローガンをかかげた運動であっても、キャンペーン型の運動の域を出ないのであって、それは意味がないと考えるようになったからだ。
もちろん、ある個人や、ある団体が政治目標をかかげて、広く国民を覚醒させるべく行う啓蒙型の活動があってもそれは自由ではある。私が問題とするのは、その活動を行う人々の中にある、「目覚めた私と眠った民衆」という旧態依然たる発想のことである。この発想の中には、「正しい自分」が存在している。これをつきつめていくと、「自分は正しいが、他人は間違っている、間違っているとは言わないまでも、わかっていない」ということになる。この発想が私は嫌いなのである。
私は人間などというものは、実にいいかげんなものであって、何度も何度も間違いを犯して人生を歩むものと思う。だから「自分は正しい」などとは、恥ずかしくて言えないと思う。’60年代の友人達がこの点について自己切開なしに「新しい」スローガンをかかげることに共鳴できない理由はここにある。頭の中を整理することから私は始めようと思う。
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