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2007-10
幻のコラム 第2回「頭の整理」
- 2007-10-26 (金)
- 幻のコラム
ここ数年、’60年世代の私達の間では、小泉政権から安倍政権へと続く流れの中で、「改憲」についての危機意識が高まったということがあった。
齢60才を超えた者達が、人生最後の政治参加の機会として、つまり死に場所として、この「改憲」反対の運動に過剰なる思い入れをしていた。
しかし、私は、同世代のこの種の発想には、ほとんど共鳴することができなかった。その理由は、この国においては、どのようなスローガンをかかげた運動であっても、キャンペーン型の運動の域を出ないのであって、それは意味がないと考えるようになったからだ。
もちろん、ある個人や、ある団体が政治目標をかかげて、広く国民を覚醒させるべく行う啓蒙型の活動があってもそれは自由ではある。私が問題とするのは、その活動を行う人々の中にある、「目覚めた私と眠った民衆」という旧態依然たる発想のことである。この発想の中には、「正しい自分」が存在している。これをつきつめていくと、「自分は正しいが、他人は間違っている、間違っているとは言わないまでも、わかっていない」ということになる。この発想が私は嫌いなのである。
私は人間などというものは、実にいいかげんなものであって、何度も何度も間違いを犯して人生を歩むものと思う。だから「自分は正しい」などとは、恥ずかしくて言えないと思う。’60年代の友人達がこの点について自己切開なしに「新しい」スローガンをかかげることに共鳴できない理由はここにある。頭の中を整理することから私は始めようと思う。
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幻のコラム 第1回「台湾で民主主義を考えた」
- 2007-10-20 (土)
- 幻のコラム
5年ぶりの台湾である。
10月に入って、親しかった徐さんと陳さんが相次いで、それも同じ10月4日に永眠してしまった。
今回の訪台は、徐さんの告別式に出席するためだ。
さて、台湾に来ていつも思うのは、民主主義という考え方のなかでは重要とされる選挙という「制度」が、台湾の民衆の歴史にとっては、私達が考えるほどの「有効性」を持たなかったのではないかということだ。
自分が投票する1票が指導者を決定するということよりも、私の知るかぎりの台湾の友人達は、「英雄」としての指導者が出現してくれることを待望している。「制度」ではなく「人」が重要という考え方だ。
なるほど、「制度」というものは、本当の意味での「人」を潰してしまうことが多い。つまり、選挙という制度では英雄を生むことはない。このジレンマのなかで、民衆の歴史は漂流し続けるのではないかと私は思う。
私などは例えば、個人崇拝を条件反射的に否定してきた世代だ。ところが、私は今の齢に達して逆に、個人崇拝ができることの「幸福」もあるのではないかと思いはじめた。民主主義では許容されることのない領域の中で持つ喜怒哀楽こそが、人間本来のものであって、民主主義の下では成立しない情念が存在しても、それはおかしなことではないと考える。
台湾の友人が毛沢東の個人崇拝を苦々しく思いつつも、毛沢東が「英雄」であったことは否定しないのもわかる気がした。
さて、来春台湾では選挙が行われる。友人達の姿を見に訪れようと思った。
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幻のコラム連載開始!
- 2007-10-09 (火)
- 幻のコラム
来週(10月19日金曜・予定)から、このブログにて宮崎学によるコラムの連載を開始します。
小泉劇場型政治や自己責任論などの「世論」に真っ向から対峙した、東京新聞「本音のコラム」終了から約2年、宮崎学による「幻のコラム」が再びやってきます。
更新は毎週金曜日を予定しています。乞うご期待!
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新刊 宮崎学コーディネイション『佐藤優 国家を斬る』
- 2007-10-02 (火)
- 書籍
著:佐藤優=起訴休職外務事務官
コーディネーター:宮崎学
連帯運動/編
同時代社
定価1200円
ISBN978-4-88683-615-1
◆「国家主義者」佐藤優が「国家」と闘う論理。
◆「官僚階級」による収奪の構造を衝く。
◆「左翼」との、少し分け入った対話。
■主な内容■
・反権力自由主義者としての佐藤優/宮崎学
・「国策捜査」と時代の「けじめ」/佐藤優
・現代日本の官僚階級/佐藤優
・対談:官僚階級の相貌/佐藤優・宮崎学
「佐藤は、国家権力による(佐藤自身のことばによれば)「国策捜査」の犠牲になり、それに抵抗することで反権力の立場に立つようになった。といっても、かつての左翼にありがちだった<権力=悪>という先験的な反権力ではない。佐藤は国家主義者で、国家が社会を正しく秩序づけることを考えているのであって、<権力=悪>とはとらえない。しかし、<正しい権力>と<悪い権力>とがあって、国家は<正しい権力>にならなければならない、という国家主義者でもない。権力はつねに必要悪であって、悪い作用もするのだが、それも含めて必要なものだ、という立場なのだ」(宮崎学)
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