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借金考・再論

本音のコラム(20回目)7月17日付

 5月22日付けの本欄で「借金考」を書いたところ、読者諸氏からたくさんのお叱りや励ましを頂いた。この場を借りてお礼を申し上げるものである。

 そこで今回は、もう一度カネの貸し借りについて記す。

 借りたカネを返すのは当たり前のことであるから、これを否定する筆者のような考え方は不道徳であるという意見がある。誠にごもっともである。

 だが、借りたカネを約束どおり払えない。ここに市井の人の悩みがある。また、生きるためにはカネを借りなければどうしようもないという事情も、人の長い人生の中では起こりうる。つまり、返せなければ借りなければいいという理屈では解決のつかない修羅場が人にはある。

 きれいごとでは済まないことがあるのが世の常とするなら、そのきれいごとを金科玉条のごとく唱える例えば親の子に対する行為が、どれだけの情愛の発露と言えるのだろうか。

 借りたカネを約束どおり払えない、また将来払えなくなるかもしれないカネをも時には借りざるを得ない。そして結局は払えなくなる。こうした時に人としてどう対処すべきかを教育するのが親の愛である。

 借りた金を返せなくなった時、「返すのが人間だ」と言われていた者にとっては、結論としては自死しかなくなる。筆者は金より命が尊いと考える者である。金ごときのために自らの命を絶たせる「道徳的」的な規範を拒否する。まして子供の自死に連なる親のしつけなるものも。

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