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対立と相似

本音のコラム(16回自)6月19日付

 社会には、様々な対立がある。またその対立が歴史を動かしてきた原動力でもある。この対立には、民族、宗教、国家、階級、党派、そして文化等々があり、その種類は実に多様である。

 ところが、その対立は厳しければ厳しいほど対立する相互が瓜二つのものになっていくという宿命的ともいう特徴がある。例えばユダヤとナチである。ナチによって徹底したジェノサイト(民族浄化)の被害を受けたユダヤは、まったく同質の行為を今パレスチナに行うこととなっている。

 こうした例もある。旧ソ連を中心とする社会主義と対立したアメリカは、旧ソ連がスターリンの下に企図した「革命の輸出」と同質の「グローバリズム」を今求めるに至っている。

 つまり対立し敵対した相手の悪しき体質をさらに純化させ、その胎内に醸成していくということである。

 こうして対立は新たな対立を再生産するという輪廻転生的な側面を持つ。とかく人の営みとは、かくも空疎なものなのである。そうであるなら、人は対立する渦中にあるとき、その対立は虚ろなものであると言うことをどれだけ自覚できるかが「知」の水準ということになるのではないだろうか。

 そして今アメリカは反テロリズムということでイスラムと対立している。また日本は反北朝鮮と言うことで対立の感情を露わにしている。こうしたことの結果がそれぞれの内にテロリズムと朝鮮労働党的なるものを間違いなく育んでいくのである。

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