- 2003-05-08 (木) 15:15
- 本音のコラム
本音のコラム(10回目)5月8日付
人は何人かが社会的な目的を持ったとき、まず志を同じくする者を募って組織を作る。その際の目的とは、金儲けであったり政治的目標だったりする。
こうした考え方があること自体は、好きではないが認めるものである。それは大海に出るときに船に乗るのが常套の手段という意味においてである。
ところがこの組織というものは厄介なもので、時間を経ると目的は喪失してしまい、組織そのものを維持することが目的と変質してしまう性を持つ。
この傾向は組織が生活の手段となることによって加速する。
ここに「組織のために」というまことしやかな論理が生まれてくる温床がある。
確かに組織がないと目的は達成できないと言うこともある。しかし、目的を喪失してしまった組織は、存在する意味はない。それは民間において顕著であり、営利を追求する組織として誕生した企業組織などは、儲からなくなれば維持してゆく必要はどこにもないと考えるのが合理的だ。この苦境を耐えれば又明るい時代が来ると考えるのは幻想に過ぎない。一刻も早く精算するのが自然である。
まして政治組織などは企業よりもっと厳しくあるべきである。政治組織は、それを支持する人達の善意によって支えられているだけになおさらである。数十年もの間、目的が達成されないとしたら、もはや存在すること自体、害悪といわざるを得ない。
民間企業はそれでも、利益が上がらない場合は倒産という事態に陥り、自然に消滅する。ところが政治組織は、目的から全く遠のこうが、存在すること自体に意味があるといった理屈で生き残ろうとする。
これは、官僚の論理である。官僚組織という、生活共同体を維持することだけを目的とする論理と同質のものである。この国の閉塞は、この組織の論理に代表される。
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