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議員の道義

本音のコラム(8回目)4月24日付

 国会議員の道義を問うのがこの国の「市民」は好きなようだ。議員が秘書の給料を誤魔化したのが許せないとか、秘書の給料を引退したヤクザに出させていたのはとんでもない不道徳の行為だと言って憤慨してみせることを生業とするコメンテーター族には、特に辟易とする。

 議員とヤクザが関係を持つことは民主主義の根幹に関わる許すべからざる行為、という御説をのたまうこの種の人達に問いたい。

 例えば、選挙の際にヤクザがある候補者に投票し、その候補者が当選したとする。議員とヤクザは選挙、投票という民主主義の極めて重要な行為を通じて関係を持ったということになるのかと。

 その際「道義」を唱えるこの人達は、当選した議員は辞任すべきというのが、論理の一貫性ということになるのではないかと。

 だとしたら、いっそのことヤクザや元ヤクザから投票権を剥奪すべきと言うべきではないのか。

 道義性を問うというのは、こうしたことをいうのである。つまり.道義を問うということを安易に、まして生業のために唱えるべきものではない。そこに違法行為がある場合、そしてそれを議員などが隠蔽していた場合などは、それを徹底して追及するというのは全く正当な行為である。

 しかし、道義性を問うた瞬間、その行為は私刑の論理に転化するのである。

 そもそも権力亡者の政治家に道義を求めるのは、イスラム教徒にお百度を踏めと言うようなものである。

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