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途窮未祷神

本音のコラム(6回目)4月10日付

 歴史の潮目にさしかかったという実感がある。

 こうした先行きの不透明な時に人は、それぞれに不安をつのらせる。そして神に祈って自らの「何か」を守ろうとする。「何か」とは自らの命だったり、家族だったり、国家であったり、時には「見栄」だったりする。

 ところで今から90数年前の1911年に、大逆事件で死刑判決を受けた幸徳秋水が、その後に詠んだ漢詩の一説に「途(みち)窮まれど未だ神に祷らず」という句がある。

 この4日後、幸徳に対する死刑は執行される。どんな窮地に陥っても神に祈って助けてくださいとは言うまいというこの句は、幸徳のその精神の気高さを示すものといえよう。

 近代以降人類は、二度の世界大戦を体験してきた。アメリカにいたっては200回もの戦争を行うのである。戦争はその都度、侵す側、侵される側を問わず、神に祈り、神を最後の拠り所としてきた。

 つまり理性によらず思考を停止し、運命を神にゆだねたときに戦争があるのだ。

 人は、安寧を期して神に祈るのであるが、それが結果として争乱と破壊を生み出してしまう。人の営みとはなんと皮肉なことであろうか。

 歴史の潮目を迎えた今、人はまたもや神に祈ることに依ろうとしている。

 しかし、神に依らず、知の営みをもってこの悲惨で苦悩に満ちた現実と対時する方途もあるはずではなかろうか。

 幸徳の句に示された精神が今ほど輝きを持つときはないと思われる。

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