- 2003-03-06 (木) 14:46
- 本音のコラム
本音のコラム(1回目)2003年3月6日付
戦争の世紀であった20世紀の「戦争の時」は、戦争を遂行する国々の国論がものの見事に統一されていた。国論とは、辞書によると「世論」と同義語とされるが、国の進路に関わるという意味が「世論」より少し多く含まれる言葉として私は理解している。
この国論と戦争の関係を考えてみた。戦争を遂行できる国は国論が統一されている。つまり、強い国には色とりどりの世論は要らないし、一つの色で塗りつぶされる国論が必要となると言うことだ。これが国論と戦争の関係である。
20世紀、社会主義諸国は戦争を前提として成立していた。故に国論は統一されていた。私は今の北朝鮮にその残滓を見る。
ところで最近、この北朝鮮と力でもって対抗すべしとする論調が浮上してきた。その論者は同時に国論の統一を声高に主張している。北朝鮮と対抗するために、そこにある以上の国論の統一を日本でも行うべきとする意見である。これは明らかに論理の矛盾である。問題はそれだけではない。この種の、小学校のホームルームの決めごとのような主張が我が物顔で横行する現代社会の空気は、すでに北朝鮮よりも重いものと私は感ぜざるを得ない。
私は、戦争とは精神と知性の全くの退廃だと考える。戦争への定石としての国論の統一という言説を私は拒否する。国論がいくつにも分裂し、議論が百出している国は実に住むに心地よい。しかし、最近この国は住みづらくなってきた。
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